ウォリック (Warwick)
ウォリックにはロードアイランド州の主要空港であるT・F・グリーン空港があり、プロビデンス大都市圏の用に供し、マサチューセッツ州ボストンのジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港の代替空港の役目も果たしている. またロードアイランド州陸軍州兵の第43憲兵旅団基地もある.
ウォリックは、ナラガンセット族インディアンの大首長マイアントノミが貝殻玉144ファソム (263 m) を受け取ることに合意した1642年に、サミュエル・ゴートンによって創設された. これは「シャウホメット買収」と呼ばれた. この買収には現在のコヴェントリーやウェストウォリック町の町も含まれていた. しかしこの買収は紛争無しに行われたものではなかった. 地域にいたサコノノコとパムハムという2人の首長がその承認を得ずにマイアントノミが土地を売ったと主張した. 2人の首長はマサチューセッツ湾植民地ボストンに訴え出、その土地をマサチューセッツの統治下に置いた. 1643年、マサチューセッツは民兵隊をシャウホメットに派遣し、ゴートンとその追随者を逮捕しようとした. 激しい対立の後、ゴートン支持者のうち3人を除いて全員がマサチューセッツの部隊に降伏した. この出来事が契機でナラガンセット湾にあった他の3つの町(プロビデンス、ポーツマスおよびニューポート)が合同し、ナラガンセット湾の町にロードアイランド及びプロビデンス・プランテーション植民地を形成する王室勅許を得た.
1648年、ゴートンは海軍提督でイギリス議会プランテーション問題委員会の長であった第2代ウォリック伯爵ロバート・リッチから土地特許を認められた. このために開拓地の名前はシャウホメットからウォリックに変えられた. マサチューセッツはこの地域に対する領有権主張を続けたが、それを強制できる力は無かった.
1772年、ウォリックはガスペー事件と呼ばれることになる最初のイギリス王権に対抗する暴力事件の現場になった. 当時密貿易があたりまえのように行われていたナラガンセット湾に、1765年の印紙法やタウンゼンド諸法を強制するための密輸監視艇HMSガスペーに地元のアメリカ愛国者達が乗り込んだ. 船を乗っ取られるのを防ごうとしたガスペーの指揮官ダッディンストン海尉が股あてを撃たれ、アメリカ独立に向かう出来事での最初の血が流されたのがこの地になった. ガスペーは火を点けられる前に全ての大砲や武器を外された.
独立戦争の間、ウォリックの民兵隊はモントリオール、ケベック、サラトガ、モンマス、トレントン、ロードアイランドなどの戦いに参戦し、ヨークタウンでイギリス軍が降伏した時もその場にいた.
地図 - ウォリック (Warwick)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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USD | アメリカ合衆国ドル (United States dollar) | $ | 2 |